マラソン ランニング

アートブレーキー モーニン ART BLAKEY MOANIN'

ジャズファンならずとも、その有名なイントロは聴いたことがある人も多いだろう。1958年の録音がオリジナル。Art Blakey & Jazz Messengersの当時のピアニスト、Bobby Timmonsの作曲によるもの。日本でもこの曲は相当流行ったらしく、蕎麦屋の出前もモーニンを口笛で吹ていたという逸話もあったらしい。

このタイトル、モーニンは英語で書くとMoanin'で、動詞Moanの不定詞の最後の"g"を省いた表記。もしこの表記がMoaningだったら、カタカナでは「モーニング」となり、「朝」のモーニングと勘違いされていただろう。

Moanの意味は、呻く、呻き声を出す、愚痴をこぼす、不平を言うなど。一般に爽やかさの代名詞の朝のイメージとはかなり違うので、ジャズでは稀だが邦題が付いていたかもしれない。

Bobby Timmonsがどういう気持ちで作曲したのか、何故このタイトルになったのかは分からないが、トランペットのLee MorganやテナーサックスのBenny Golsonのソロを聴くと、音色・フレーズ共に、何か心の奥底から絞り出す「呻き」のようにも聞こえる。

一般にヒット曲は歌物が多いが、クラッシックやジャズなどは歌のないインストルメンタルの曲が数多くある。

僕はインストが割と好きでよく聴いている。もう何年も前の話だが、家でジャズを聴ききながらウトウトした時、楽器のソロが言葉になって聞こえたことがあった。ジャズはテーマ(主旋律)とソロから構成されることが多い。ソロは所謂アドリブと言われるもので、事前にフレーズを準備することなく、最低限にルールにだけ従って展開するもの。また、ジャズでは曲の後半に、最後エンディングテーマに戻る前のソロ回しのパートがあり、それぞれの楽器が決められた小節数を何回かソロを回すことがある。例えば通常のソロ回しの後に、トランペット〜テナーサックス〜ピアノのように順繰りに1コーラスの中で複数の楽器がソロを取るのだ。特にこのソロ回しの部分は、一つの楽器のソロが短いので互いの楽器が会話をしているような感じでもある。会話というと穏やかな感じだが、アップテンポの曲では言い合い、言い争いのような印象の時もある。

例えばこんな感じだ。

トランペット「ここは俺に任せろ。みんなは黙ってろ!」

テナーサックス「何言ってんだ!この野郎!偉そうにしてやがって!」

ピアノ「こら、サックス、うるさい!グダグダ言ってるんじゃない。黙ってろ!」

トランペット「邪魔だ!邪魔だ!お前らどっちも引っ込んでやがれ!」

テナーサックス「邪魔とは何だ!邪魔とは!どの口がそんなこと、ほざいてんだ!」

 

ジャズのソリストたちが喧嘩をしている訳ではないが、白熱したライブではこんな印象と取れることもあるのだ。

前述の最低限のルールと言うは簡単に言うとコード進行だ。同じ曲でも演奏者によってソロは変わるし、同じ演奏者でも演奏の毎にそのソロは変わる。その毎回変わるところにジャズの面白みがある。Miles Davisが60年代にかなりの枚数のライブ盤があるのは、そう言った、同じ曲でも毎回変わる面白さを聴く側も受け入れていたからなのかもしれない。いずれにせよかなりの部分で即興的な演奏が楽しめる音楽なのだ。

JPOPなど一般のポップスはそのような即興性は低いのだが、今の音楽のベースとなっているブルースなども即興性の高い音楽だ。教会音楽だったクラッシックもかなり即興楽曲だったと聞く。即興性の高い音楽から現在の構成された又は決められた音楽と言う変遷が大きな意味での音楽の流れなのだろうか。

ジャズも、ブルースも残念ながら日本に於いてはどちらも余り大衆に受け入れられる音楽ではない。それでも何が起こるか分からないジャズのような即興音楽に僕は面白みを感じている。

すっかりジャズの話になってしまったが、「呻き=モーニン」に戻る。

実は最近この「モーニン」的な感情に支配されることが多いのだ。人間関係がその原因なのははっきりしているのだが、どうにもままならない。うまく行ったと思った翌日には再び「モーニン」に戻る。ここ2ヶ月くらいはその繰り返しだ。何とも情けないのだがその浮き沈みで一喜一憂しているのだ。憂の時は鬱になる、正に憂鬱だ。今日も実は喜びの昨日から鬱に転落した日だった。

頻繁にランニングしていた時には、走ることでストレス解消になっていたのだが、走れない最近は大抵の場合、酒に逃げている。そんな今もウォッカを煽っている。