マラソン ランニング

自分にとって走るということ

村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでみた。村上春樹はほとんど読んだことはなく、彼がシリアスなランナーだということすら知らなかった。何となくタイトルだけで買った本だった。

 

然し、その中で自分にも妙に当て嵌まる思ったのが、「長距離を走るということが性に合っている」というフレーズ。マラソンなんぞをやっているというと巷の人は口々に、何故そんな苦しいことをやるのか、そんなに苦しむのが好きなのか、或いはMなのか、などと変態扱いされることが多い。昨今の健康ブームに絡むランニングブームにあってファンラン(マラソン大会をお祭りイベントと位置づけ、参加することに重きを置き、苦しければ歩くことも厭わず周囲の景色などを時には写真を撮りながら、どんな形であれスタートラインからゴールラインに物理的に二本の足で移動したことに対して一種の満足感、達成感を味わいたいと言うグループ)は増殖していると思う。ここではファンランを否定したり見下している訳ではないが、自分のスタイルではないのだ。自分は、マラソンはタイムの縮めるのが常に目標で、苦しくても歩く想定はない、ましてやレース中に写真を撮るという選択肢は皆無なのだ。趣味だが、真剣に40km以上の距離を競争しながら走りたいのだ。が、その行為は、世の中の大半の人には不要で理解不能なことなのだろう。明らかにしっかりと練習を積んでその成果をレースにぶつけたいタイプなので、世に言う、シリアスランナー、つまり常人から見ると「変態」なのだ。

 

その「変態でい続ける」答えの一つが「性に合ってる」だったのだ。そう、性に合っているから変態でい続けているのだ。自分は努力家でもなければ、元来計画的でもない。寧ろ逆だ。それがこと、マラソンとなると途端に計画的に努力をするのだ。そしてその計画に対しては余程の理由がない限り従順でいられるというか、計画通りに進めたいと希求するのだ。この「性に合っている」と言うのは何とも便利な表現で、何にせよ当て嵌めることでき、より多岐にわたり、またはより深度のある論理的な或いは感情的な理由を追求しようとする追手の意思を一撃で跳ね返してしまうような魔法の言葉にすら聞こえる。例えば、人や仕事との相性、音楽やファッションの好み、様々な考え方や行動に対して、「性に合う」は使える。全ての行動には何らかの理由があるのだが、ウインドウズとマック、成城石井ダイエーヤマハとアイバニーズの選択も最終的には「性に合うかどうか」でその理由づけ議論を結論づけることができる。こうなると、「性に合う」を理由に持ってくることは、reason whyの説明の努力や時間を解放し、議論に終止符を打つための最終兵器なのかもしれない。現代の若者が「カワイイ」と「ヤバイ」で全てを片付けるのと同様に「性に合う」も多用すると論理的な展開をしたいときに出来なく可能性もあるが、それに今気づいただけでも良しとしておこう。

 

話を村上春樹のエッセイに戻す。

エッセイで見つけたもう一つの発見。それは、楽ではないマラソン(フルであれ、ハーフであれ)を複数回続ける理由。それは、レース前の練習から予測(期待)する本番のレース運びに関すること。つまりレースに対する満足度上げるたいが為に続けるのだと。それは言い方を変えれば、大抵満足するような結果ではなく必ず反省点があるということだと思う。そのように自分に置き換えて読んでいて、これもまた目から鱗だったのだ。

 

自分の中でとても悔いが残るレースの一つが大田原マラソンだった。先ずは前半下り、後半登りという構成を甘く見ていたということ。目標は平均4'30"ペース、つまり3時間10分以内目標。後半のバテを想定して前半の下りでいい気になって4'15~4'20という無謀なペースで貯金。現金で貯金していたつもりだったのだが、気づいたら全て不良債権になっていた。後半はサイドブレーキを引いたまま、軽自動車で坂道を登っているような感じだった。

もう一つの落とし穴が、スペシャルドリンクの持ち込み。水分と養分を摂るために7つの給水ポイントに自分で作ったスペシャルドリンクを持ち込んだ。問題だったのはホルダー準備だった。給食ゼリーは小さなドリンクホルダーに入れ替えて通常の大きさのドリンクホルダーにテープでつけた状態。親亀の上に子亀をテープ乗せたような状態だ。親亀と子亀の吸い口を同じレベルにしないと補給しにくいので給食をドリンクホルダーの上部に付ける。

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この子亀を上部に付けたのは所謂”座りが悪い”状態。つまり、自立させるためには子亀には最低限の量を、親亀のホルダーに大量の水分を入れる必要があったのだ。従って、ホルダーは思いの外重たい。しかも、水分、ゼリー共に漏れないように、キャップをキツく締めすぎた。ホルダー片手に歯でキャップを開ける予定が開かない。4'20~4'25"前後で走りながら両手でホルダーをしっかり掴み、歯を食いしばって開けて補給するのに無駄なエネルギーを消耗してしまった。キャップが開くと、量の少ないゼリーを補給する為には、無理くらいの角度を付けないとゼリーが吸い口まで降りてこない。一度はゼリー補給の為にボトルを揺らした為、親亀ホルダーのキャップが開いてしまい、顔から体からスペシャルドリンクまみれになってしまった。

それでも折角準備したのだから、補給しなければないない義務感みたいなものがあり、ポイントの度に補給。補給に神経が行ってしまい、「その度にタイムが落ちる。落ちたタイムを取り戻す。」の繰り返しが、完全に負の遺産となった。たらればなのだが、せめてキャップの締め付けが普通だったらと未だ悔やんでいる。

 

これまでにもランニング系の本はトレーニング法からエッセイまで色々と読んだのだが、二つも腑に落ちる点が見つかるとは思っていなかった。実は今軽い肉離れにより、故障中の身なのだが、走れないことから、毎日無駄にビールを飲み続けていた。が、この本で「性に合う」ランニングで「満足度をあげたい」という気持ちが高まってきた。7月からのメニューを見直して、改めてトレーニングに励みたいと思う。