マラソン ランニング

速く歩いてみた3

昨日も速足帰宅。4.34km, 6:36/km, 27:58.54,293Kcal

一生懸命歩いたがタイムは落ちた。今回はランニングウェアに着替えて、洋服をリュックに入れて気合を入れたのだが、結果はついて来なかった。着替えとPCを入れたリュックは思いの外重くて、正直これはない、と思った。今日はランニングウェアは持って来なかった。GPSウォッチは持っているが、今日からは8分程度の歩行にしようと思う。汗をかき過ぎるのも気持ち悪いし、かと言って荷物が重いのは嫌だからだ。運動ではなく、体を調整するためのウォーキングが少し速歩き位が良いのだろう。

速く歩いてみた2

今日も速く歩いた。雨じゃないので顔を隠す傘はないが、もうどうでもいい。今日は

4.09km, 24:26.06, 5:59/km, 273Kcalだ。昨日より速い。キロ6分はジョギングではスローだが、歩きだとこんなに息が切れるのか。走るよりピッチが速いのが原因だろう。この調子で続けると一体自己流でどの程度までスピードを上げられるのだろうか。

但し、問題はやっぱりウエアだ。今日は1.5km手前で上着を脱いだ。汗拭きのハンカチはビショビショだ。会社で着替えてランニングウエアで帰るのも手としてはあるのだが、問題は常にPCを携帯しているのでPC+洋服をリュックに入れるとなると嵩張るのと、重くなりそうだ。然し、試してみる価値はありそうだ。

週明けに一度やってみよう。今日はランニングシューズだったので、足元は快調だった。まさかターサーをこんな時期に会社に履いていくことなろうとは。

2日歩いても腰には影響がないようだ。衝撃はないから当然と言えば当然だろう。

ガーミンのベルトが届いた。今度からはちゃんと腕につけられる。更に楽しみができた。

音楽について話すこと

音楽が好きだ。好きなのは洋楽全般。ポップス・ロックのカテゴリーでは年代的に70年前後が好きだ。年代で分けるのは難しいが、結果的に好きな音楽はその辺りに集中している。

70年前後と言うと、Beatlesの解散とWoodstockが大きな話題だろうか。僕のヒーローたちと言えば、Beatlesから始まり、King Crimson, Eric Clapton, Jimi Hendrix, Janis Joplin, Grateful Dead, Little Feat, The Band, Doobie Brothers, Jackson Browne, Dr. John, Leon Russell, Allman Brother Band, Delaney & Bonnie, CSN&Y, CCR, Tower of Power, Chicago, BS&T, Jeff Beckなど。まだビジネスとしての音楽というよりも、伝えたメッセージを伝える手段としての音楽、または、純粋に音楽好きだからやっているというような時期だったと思う(とは言え、Beatlesはかなり商業的だったが。。。)

僕の中での興味対象の音楽の舞台は大半がアメリカだった。American Rockには少しCountry & Westernの要素が入っていて、それも好みで心地よくもあった。時折聴こえる、バンジョーフィドルマンドリンの音色が音楽にスパイスを与えていたような気がする(それが嵩じてDavis Grisman, Vassar Clements, Bill Monroe, Doc Watson, Leo Kottke辺りまで漁っていたが、さすがにBluegrassは深すぎて入り込めなかった)。

70年前後というと日本は歌謡曲全盛時代で、美空ひばり北島三郎都はるみ淡谷のり子等演歌系や村田英雄、三波春夫など浪曲謡曲系(?)、或いは何系とは言えないが藤山一郎、または小川知子由紀さおり夏木マリなどアダルトな歌謡曲南沙織フォーリーブスなどアイドル系歌手やグループが日本の音楽界を賑わせていた。テレビではオーディション番組から若い歌手たちが続々誕生して始めてきた頃。70年中盤というと山口百恵郷ひろみ辺りまでだろうか。

実は当時歌謡曲が嫌いだった。子供の頃から洋楽を好んで聴いていて、子供なりに音楽の「出来」がなんとなく違うと感じていたのだ(単なる西洋かぶれかもしれないが)。洋楽には音楽の字の如く、楽しい音と心をウキウキさせるビート感があった。これはBeatlesの映画の影響が大きいと思う。A hard days nightやHelp!で楽しそうに演奏してい姿がとにかく印象的だったのだ。

どんなに歌謡曲を聴くまいと思っていてもテレビやラジオから自然に流れて来るので、知らない訳ではないのだが、特に演歌、ムード歌謡、四畳半フォークの類はその手の音楽が聴こえるとテレビやラジオを消して聞かないようにしていた。僕にとってはその手の音楽は総じて「ジメジメして暗く、かっこ悪いもの」で、そんな音楽に慣れると自分が「ジメジメして暗くてかっこ悪くなる」と思っていたのだと思う。でも、本当は自分が「ジメジメして暗くてかっこ悪い」から、そんな風に思っていたのだろう。

謡曲全般を避けていたのだが、暗くはないがアイドル歌謡も嫌いだった。これは親の影響がかなりあると思っている。僕の親はアイドル歌謡やドリフ(今でいうバラエティー)、漫画(テレビも雑誌も)の類を、全て「くだらない」の一言で一蹴していたのだ。お陰で、テレビのアニメや子供向けのドラマなどは殆どリアルタイムで見たことがなく、同世代の人との話は全く合わない。漫画雑誌も殆ど読んだことがなく、こちらの話題にも付いていけない。音楽も歌謡曲が全く分からない。

70年前後の洋楽が好きと言っても、知っているのは極限られた領域だ。実は最近になって自分がアマゾンプライム会員だということに気づき、アマゾンミュージックを聴き始めた。そこには自分が通過していなかった数々のアーチストの作品がある。今になって聴いているのはJames Taylor, Carly Simon, Carol King, Jor Cooker, Van Morrisonなど。これらの人たちのアルバムがダウンロード出来る。まだまだたくさんありそうで実に楽しみだ。

日本の音楽では時代を遡って探しながら聴くことは無いのだが(笠置シズ子と初期の美空ひばり吉田拓郎は遡ってみた)、洋楽は相変わらず、時代を遡って楽しんでいる。そしての遡る時代とは大体が70年前後なのだ。

 

 

速く歩いてみた

昨日も歩いた。雨でしたが、傘をさして、腕を大きく振って歩いた。街中をおかしなスピードで歩くには傘で顔を隠せたので、雨は好都合だったかもしれない。昨日の結果は;4.84km, 31:02.91, 6:25/km, 365Kcal

僕もGPSウォッチは比較的測定が正確と言われているgarmin。だけど型番がforerunner 405と大分古いので、あてにならないかもしれない。2km目が5:34, 3km目が6:59とバラツキが大きい。雨や曇りの日は特に、結構いい加減な測定になる。

それはともかく、このスピードで歩くのはかなりしんどい。2.5km付近の信号で止まった時に汗が吹き出して来たので、上着を脱いで続行。家に着いたら全身汗だく。

椎間板ヘルニア・リハビリのためのウォーキングだったはずがこれでいいのか、かなり疑問。が、ランニングができない僕にとってはちょっと気持ちがいい。走っていないので、着地時の衝撃はない(又は非常に少ない)はず。通勤帰宅で汗まみれになるのはどうかと思うけど、かなり運動にはなりそう。当初の時間目標40分をクリアするにはプラス1.5km程距離を延ばさないといけないのだが、このスピードはこの距離が限界。

GPSウォッチの切れたストラップはアマゾンをポチったので、じきに来るはず。待ち遠しい。

歩くこと

さて、走ることは封印せざるを得ない状況となったため運動する機会がなくなってしまった。水泳も考えたが、元来それほど魅力を感じていないだ。それでは続かない。目下のところは歩くだけという状況。会社から家まで約4km。歩くには丁度いい距離。昨日は初めてGPSウォッチを持って来た。実はこの時計のストラップは10月のラストラン後に無残に切れてしまい、時計からもランニングに終わりを告げらたような気がしていた。

せっかく歩いているのに時間を測らないのは勿体無い。元々毎日40分歩き体を健康に保つという目的で始めたのだが、早くも当初の目的からはずれまくっている。それはさておき、とにかく、測ってみた。4.1kmで平均7:41/kmというスピードだ。所要時間31分ほどだ。無論会社の帰りだから荷物(リュック)も持っている。それでも結構頑張って歩いてみた。このスピードでも脛の辺りが疲れる感がする。しかも、十分、おかしな人と写っているはずだ。経路は途中JR山手線の駅前を通るようなルートで人も多い。世の中には歩くスピードがやや速い人もいるが、それよりもっと速い。明らかにヘンな人だ。

それでも今日も測る。一度測ってみると、ついついタイムを気になる。今調べてみたら競歩のトップの選手は4:00/km以下のスピードのようだ。競歩20kmを1時間16分くらいでゴールするってことは3:50/kmくらいのスピードです。僕はハーフマラソンでもこのスピードで走れない。恐るべし、競歩

僕のそれは、もちろん競歩ではないけれど、今日もタイムを測ってちょっと楽しんで見ようと思う。

テレビ中継のマラソン

元々走ることについて勝手な独り言のつもりで始めたこのブログだが、走らなくなった今、何を綴ろうか悩むところだ。それでも走る事、殊にマラソン的な長距離には興味がある。

 

先日の大学女子駅伝をテレビで見た。男子の駅伝よりも各区間の距離は短く最長でも9kmほどで、概ね5−6kmが一区間の距離だ。それを3分10~15秒くらいのスピードで走り抜けるのだ。実に恐ろしいスピードだ。100mを19秒位のスピードで5-6km走る事は並大抵のことではない。僕は単なる市民ランナーだったので、3分30秒で1kmが関の山だった。そのスピードで走ったらその後は確実に4分後半じゃないと心肺が持たない。

 

自分も走っていて4分前半ですら中々なスピードである事、しかもそのスピードで10~20km走るとなるとかなり苦しいのはよくわかっている。マラソンのテレビ中継で一番残念なのはそのスピード感が伝わらないことだ。TVで正面から映されるとそのスピードが、例え男子オリンピック級選手の1k当たり2分を切るスピードでさえも、さほどのスピード感は伝わらない。トラック競技は100mやリレーはもちろんのこと、5000mでも10000mでも(特に最後のスパートは)その速さはテレビの画面からも伝わる。が、ロードレースになるといきなりゆっくりに見えるのだ。沿道で応援して目の前を通過されれば、もちろんその速さに驚くのだが、それが画面を通して伝わらないのが実に残念だ。そんなこと思っているのは僕だけだろうか。。。

 

大学女子駅伝大会の1日前に、テレビで前回優勝の松山大学(今回は残念ながら13位)を中心に今年の大会に向けての練習風景などを特集していた。画面には監督の厳しい指導、涙を流しながら、悔しがりながらその厳しい練習に耐える選手たちの様子が映し出されていた。現在の練習方法は昔の非科学的な練習とは違うのだろうが、その精神の背景には兎に角がむしゃらに体を虐める昔ながらの運動部のやり方のように見えた。

 

少し話は逸れるが数日前に、やはりテレビで水泳の瀬戸大也選手のオーストラリアでの合宿の様子が特集されていた。今までの日本でのやり方を一新するため、武者修行にやってきたということだったが、その番組の中で印象的だった事があった。練習は周りは全て地元の先週で彼一人が日本人。もちろん練習メニューはオストラリアチームいつも練習。それもかなりハードな練習との事だが、その厳しい練習に対してオーストラリアの選手たちは笑顔で楽しそうにやっているということ。記録を目指す選手たちもスポーツを楽しんでいると感じたようだった。今まで日本で練習している時には誰もがため息をつきながら練習していたのに、オーストラリアでため息を付きながら練習している人が誰もいないというのだ。

 

大学女子駅伝の特集番組の女子選手たちが涙する姿を見て思い出したのが、この瀬戸選手のオーストラリアでの感じた印象の事だった。

ため息どころか泣きながら練習に耐える、コーチに叱咤されるつつそれに耐えているその姿に、日本のスポーツ指導の基礎を見たような気がした。もちろん全てが精神論ではないだろう(箱根の青学のように)。この厳しくされる事に対して一種の価値を見出しているのは日本人の特性なのだろうか。

日本伝統のスポーツというと柔道や剣道と言った武道があり、指導も厳しそうな(多分間違っていない)イメージがある。この柔道、剣道のような指導が今のスポーツ指導の基本になっているのか?

或いは、これらは今となってはスポーツの一種だが、元々は身を守るまたは攻撃するための武術だったと考えると。。。

刀と弓の時代には剣術は戦うための必要な技であり、スポーツではなく、敗北=死と意味する生きるための技。その構図の中での武道であれば、相当な厳しい指導があって当たり前だろう。習う側にもそれなりの覚悟があって習っていた事と思う。

それがいつの日かスポーツ指導の基礎になったのか。或いは、軍国主義時代の何でもかんでも厳しい規律の名残なのか。

いずれにせよ、どれだけ科学が発達している現代でも「スポーツ指導=厳しい」のイメージが未だに定着している。巨人の星なんかは、まさに「根性だけがスポーツの上達を支える」という誤った知識を植えつけたのではないかとさえ思う。

 

週末、ゴロゴロしながらテレビを見ながらそんな事を考えていた。

 

 

アートブレーキー モーニン ART BLAKEY MOANIN'

ジャズファンならずとも、その有名なイントロは聴いたことがある人も多いだろう。1958年の録音がオリジナル。Art Blakey & Jazz Messengersの当時のピアニスト、Bobby Timmonsの作曲によるもの。日本でもこの曲は相当流行ったらしく、蕎麦屋の出前もモーニンを口笛で吹ていたという逸話もあったらしい。

このタイトル、モーニンは英語で書くとMoanin'で、動詞Moanの不定詞の最後の"g"を省いた表記。もしこの表記がMoaningだったら、カタカナでは「モーニング」となり、「朝」のモーニングと勘違いされていただろう。

Moanの意味は、呻く、呻き声を出す、愚痴をこぼす、不平を言うなど。一般に爽やかさの代名詞の朝のイメージとはかなり違うので、ジャズでは稀だが邦題が付いていたかもしれない。

Bobby Timmonsがどういう気持ちで作曲したのか、何故このタイトルになったのかは分からないが、トランペットのLee MorganやテナーサックスのBenny Golsonのソロを聴くと、音色・フレーズ共に、何か心の奥底から絞り出す「呻き」のようにも聞こえる。

一般にヒット曲は歌物が多いが、クラッシックやジャズなどは歌のないインストルメンタルの曲が数多くある。

僕はインストが割と好きでよく聴いている。もう何年も前の話だが、家でジャズを聴ききながらウトウトした時、楽器のソロが言葉になって聞こえたことがあった。ジャズはテーマ(主旋律)とソロから構成されることが多い。ソロは所謂アドリブと言われるもので、事前にフレーズを準備することなく、最低限にルールにだけ従って展開するもの。また、ジャズでは曲の後半に、最後エンディングテーマに戻る前のソロ回しのパートがあり、それぞれの楽器が決められた小節数を何回かソロを回すことがある。例えば通常のソロ回しの後に、トランペット〜テナーサックス〜ピアノのように順繰りに1コーラスの中で複数の楽器がソロを取るのだ。特にこのソロ回しの部分は、一つの楽器のソロが短いので互いの楽器が会話をしているような感じでもある。会話というと穏やかな感じだが、アップテンポの曲では言い合い、言い争いのような印象の時もある。

例えばこんな感じだ。

トランペット「ここは俺に任せろ。みんなは黙ってろ!」

テナーサックス「何言ってんだ!この野郎!偉そうにしてやがって!」

ピアノ「こら、サックス、うるさい!グダグダ言ってるんじゃない。黙ってろ!」

トランペット「邪魔だ!邪魔だ!お前らどっちも引っ込んでやがれ!」

テナーサックス「邪魔とは何だ!邪魔とは!どの口がそんなこと、ほざいてんだ!」

 

ジャズのソリストたちが喧嘩をしている訳ではないが、白熱したライブではこんな印象と取れることもあるのだ。

前述の最低限のルールと言うは簡単に言うとコード進行だ。同じ曲でも演奏者によってソロは変わるし、同じ演奏者でも演奏の毎にそのソロは変わる。その毎回変わるところにジャズの面白みがある。Miles Davisが60年代にかなりの枚数のライブ盤があるのは、そう言った、同じ曲でも毎回変わる面白さを聴く側も受け入れていたからなのかもしれない。いずれにせよかなりの部分で即興的な演奏が楽しめる音楽なのだ。

JPOPなど一般のポップスはそのような即興性は低いのだが、今の音楽のベースとなっているブルースなども即興性の高い音楽だ。教会音楽だったクラッシックもかなり即興楽曲だったと聞く。即興性の高い音楽から現在の構成された又は決められた音楽と言う変遷が大きな意味での音楽の流れなのだろうか。

ジャズも、ブルースも残念ながら日本に於いてはどちらも余り大衆に受け入れられる音楽ではない。それでも何が起こるか分からないジャズのような即興音楽に僕は面白みを感じている。

すっかりジャズの話になってしまったが、「呻き=モーニン」に戻る。

実は最近この「モーニン」的な感情に支配されることが多いのだ。人間関係がその原因なのははっきりしているのだが、どうにもままならない。うまく行ったと思った翌日には再び「モーニン」に戻る。ここ2ヶ月くらいはその繰り返しだ。何とも情けないのだがその浮き沈みで一喜一憂しているのだ。憂の時は鬱になる、正に憂鬱だ。今日も実は喜びの昨日から鬱に転落した日だった。

頻繁にランニングしていた時には、走ることでストレス解消になっていたのだが、走れない最近は大抵の場合、酒に逃げている。そんな今もウォッカを煽っている。